355

BAR R²

No.355

後悔の味

仕込みを終えた時間に、藤巻さんから教わったミスティアジンジャーの練習を、ひとりでしていたことがあります。

藤巻さんは「いつでも飲ませてくれ」とおっしゃっていたのに、結局一度もきちんとした一杯をお出しできないまま、藤巻さんを送り出してしまいました。

ジンの量、生姜の挽き方、注ぐ手首の高さ。
藤巻さんが何度も繰り返してくださった作法を、私はひとりで、舌と手で覚え直すしかありませんでした。

思い返しますと、私は本当に色々なことを、藤巻さんから教わってまいりました。
仕事の運び方、人との距離の取り方、報告書の書き方、そういった当たり前のことから、ちょっとした息抜きまで。

とりわけ、私がある仕事で大きく失敗してしまった頃のことを、よく覚えております。
あの夏、「夕べ写真館」をやっていらしたある老紳士のお頼みを、私は最後まで解いて差し上げることができませんでした。落ち込んでばかりの私に、藤巻さんは何もおっしゃらずに、ただ静かに、いくつかのことを黙って教えてくださいました。ミスティアジンジャーの作り方も、その流れで覚えたうちの一つだったように思います。

「いいか、ああいう依頼は、解けなくても抱えていろ。いつか答えが向こうから歩いてくる」

当時の藤巻さんが、半分笑いながらおっしゃった一言を、今も時々、思い出します。

あの方が見せてくださった写真の場所は、まだ、私の中で宙づりのままです。
いつか本当の答えが歩いてきた日に、藤巻さんに教わったこの一杯を、
自分でちゃんと作って置こうと、決めているのです。