No.93
少しの楽しみ
帰り道、商店街の和菓子屋に寄った。
そこで、透き通っていて冷たい、夏にぴったりの和菓子を買う。
黒蜜にくぐらせて、つるりと啜る。
いい歳をして子供じみていると笑われるが、これだけはやめられない。
私は一つのものに凝る方だと自覚している。
これもそうだが、身の回りのものも、これと決めたらなかなか変えられない。
例えば、一つだけ気に入っている便箋がある。
ふだんの覚え書きなら、何の柄もない安物で十分だ。
中身がすべてだと、いつも言っている。
けれどその一冊だけは別で、上等な和紙に、薄く藤の花をあしらった柄のものだ。
藤の柄、というのが、なんだか自分の名前のようで、少し照れくさくもあるのだが。
あれは、ここぞ、という時にしか使わないと決めている。
だから、買ってからずいぶん経つのに、まだ一枚も、使っていない。
そういえば今日は、なんだか手紙でも書きたい気分だった。
けれど、あの一冊を使うほどのことは、まだ何も、私の中で定まっていない。
その夜は遠回りして、汐見堤防まで足を伸ばした。
海でも見ていれば、何か一つくらい、書くことが浮かぶだろうと思ったのだ。